平成22年10月14日雇用関係存在確認等請求事件

最一判平成22年10月14日


本件は、某大学の助教授が定年規定により満65歳で定年退職になると伝えられ、退職辞令を受けたのに対し、某大学教育職員は、現実には70歳を超えて勤務する者が相当多数存在しており、定年規定はないに等しく、理事も80歳くらいまで勤務することは可能であるとの趣旨の話をして、そのように認識していたことから、某大学との間で定年を80歳とする合意があったと主張して、雇用契約上の地位を有することの確認並びに未払賃及び将来の賃金等の支払を求めた事案です。


原審は、本件合意があったとは認められないとして地位確認請求を棄却しましたが、某大学には、少なくとも、定年退職の1年前までに、被上告人に対し、定年規程を厳格に適用し、かつ、再雇用をしない旨を告知すべき信義則上の義務があったとして、賃金請求について、一部を認容しました。


これに対し、最高裁は、
当事者双方とも、某大学が定年規程による定年退職の効果を主張することが信義則に反するか否かという点については主張しておらず、本件の争点は本件合意の存否である旨が確認されていたのに、信義則違反を理由に一部認容したことについて、


信義則違反の点についての判断をするのであれば、原審としては、適切に釈明権を行使して、被上告人に信義則違反の点について主張するか否かを明らかにするよう促すとともに、上告人(某大学)に十分な反論及び反証の機会を与えた上で判断をすべきとして、


原審には、釈明権の行使を怠った違法があるとして、原審を破棄し、差し戻ししました。



弁論主義の原則からは、裁判所は、当事者が主張していない事実を認定して裁判の基礎とすることは許されないとされています。そして、弁論主義は、権利の発生、変更、消滅といった法律効果を判断するのに直接必要な事実である「主要事実」に適用されるとされています。
すると、当事者が信義則違反の点を主張していないのに、それを認定して裁判をすることは、弁論主義に違反するようにも見えます。
しかし、信義則のような一般条項については、信義則というのは、そういう事実と言うより、ある事実を評価して成立するものです。つまり、ある事実が認定されて、「う〜ん、これは信義則に違反するねえ」というふうに評価(法的判断)して成立します。
そのため、信義則という認定された事実に基づく評価(規範的評価)ではなく評価の根拠となる事実(評価根拠事実)が主要事実(ないし主要事実に準ずるもの)であるとする見解がかなり有力となっています。
そうすると、信義則の成立を基礎づける具体的事実そのものが主張されていれば、信義則に反するか否かの主張がなくても、弁論主義には違反しないようにも思えます。


ですが、いきなり誰もいっていない信義則が認定されたらどうでしょう。
「信義則が認定されるなら、信義則の根拠となる事実について、もっと争ったのに・・・」
となります。


つまり、当事者、とりわけ敗訴者側にとっては、これは不意打ちになり、手続保障上好ましくありません。
そこで、裁判所としては、釈明権を行使して「信義則の点を主張しますか」とすれば、この点が争点となり、十分な反論反証の機会が得られます。
釈明権というと裁判所の権利のようにも見えますが、適切な釈明権を行使することは、義務でもあるので、これを怠った場合は、違法となる場合があります。


差し戻されて、信義則について争って、どういう結果になるのか。某大学側がどういう反論をしてくるかですかね。