小沢氏側が、検察審査会の議決に対し、無効確認訴訟をしたらしい。


以前、同様の事案では、検察審査会の議決は、起訴を強制するものではないから処分性がないとして蹴られています。


処分性というのは、「国又は公共団体が行う行為のうち、その行為によって直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められているもの」などという定義が最高裁判例から定義づけられていて、これにあたらないと行政訴訟は却下されてしまいます。


以前の事例では、検察審査会の議決は、検察に起訴を強制してないのであるからという理由で蹴られています。つまり、「直接国民の義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められている」わけではないので処分性がないということでしょう。


しかし、今は、「起訴が強制されている」ということで、処分性が認められると再チャレンジをすることとなりました。


さて、素直に裁判所は認めてくれるのか?


それとも・・・検察審査会の議決を争わなくても、起訴の段階で争えば足りる。そして、起訴処分については、行政訴訟では争えない。刑事裁判の中で争ってくれ。
っていう感じで、ばっさり切られたりして。


起訴の段階で争えと言うのは、行政計画でよく見られた一種の青写真論に近い発想ですが、こういう論理を採るのか?
検察審査会の議決と検察の起訴を一連に捉えれば、公訴権濫用論同様に、刑事手続内で争えば良いという考えもなくはないのかな。


被起訴者の救済の観点からすれば、早く争えるに越したことはないだろうが。


あと、無効確認訴訟で審査会の議決が無効となった場合、後行の起訴が無効になるかは、また争点となり得る。違法性の承継の問題だ。確かに、審査会の議決がなければ起訴はなかったのだが、それ自体が起訴手続に違法性を生じさせるかは、また別に検討の余地がある。


それと、刑事手続が執行停止されずに先行すると、先に有罪判決が出たあとに、無効確認がされたらどうなるのだろうか?


もし、違法性が承継されるとして、有罪判決が取り消されたとすると、本来有罪であったのに起訴しなかった検察の問題にもなる。また、小沢氏自身に対する世論の風当たりも強くなる。小沢氏側は、審査会の違法な議決がなければ有罪判決はでず、損害を被らなかったのだから国家賠償請求でもするのか?


けっこう複雑だ。